映画「ジョーカー」が描く狂気の世界観を観てきた。こうして悪のカリスマは誕生し、バットマンは生まれる
ふと思い立って、映画を観に行くことにした。
確か2年前くらい?に上野にも映画館ができたのは知っていたが、行くのは今回がはじめて。
TOHOシネマズ上野は、「上野」と付くが近いのは御徒町だ。
映画館のスクリーンで映画を観るなんて、1年ぶりくらいだろうか。
観る映画は「ジョーカー」にした。
映画館で映画を観る、というのが先にあって、TOHOシネマズ上野で上映中の映画の中で気になったのがこの「ジョーカー」だった、という流れであり、「ジョーカー」が観たくて映画館に行ったわけではない。
以降、多少ネタバレを含むかもしれないので、読みたくない場合は離脱して欲しい。
「ジョーカー」という映画
正直、観ていてちょっとつらかった。
その、ジョーカーの不遇な人生を観るのが、みたいなところじゃなくて、映画の構成というか、「これいつまで続くんだろうなー」みたいな描写がひたすら続くところだ。
近くの席にいた彼氏はカックンカックンしてたし、映画が終わって外に出るとき、何人かは寝ていた。その人たちは最初の方で耐えられずに寝てしまったのかもしれない。
そういうつらさがあった。
ただ、最後まで観てみると、やっぱりそういう描写も必要だったのかなーと思える。
バットマンのアクションを期待すると、そんな武術チックなものもないし、カーチェイスもない。そういう盛り上がるシーンというのはない。
ただただ静かに、狂気があって、淡々とその狂気が膨れ上がり、広がっていくのだ。その中で何人かは死ぬし、何人かは何も起こらないし、何人かは狂気に染まっていく。
あえて汚い言葉も使って概要を書いてみるとしよう。
くそったれな環境で生まれてくそったれに育って、くそったれな人生を生き、そんなくそったれな自分をたまらなくくそったれだと思っている男が、そういう「くそったれな世界」について全部吐き出したら、「世界はくそったれだ」と思っている人が結構たくさんいて、そういう人の共感を生んで、悪のカリスマとして祭り上げられるようになる、というような話だ。
作中、微妙な違和感というか、話の流れが不自然な感じがしていたのだけれど、それは主人公の頭の中で虚構と現実が入り乱れていたからかな、というのが後半になってわかった。
そして、最後のシーンで、バットマン本編に続く、という終わり方だった。
彼は別にスーパーマンでもなく、すごい体術をもっているわけでもない。誰かを殺してやりたいわけでもなくて、力や権力が欲しいわけでもない。むしろただの貧相な人で、ただただ狂気で、秩序をぶっ壊したいだけ。そういう「ジョーカー」のスタンスがわかるような映画だったと思う。
ある意味、彼は自分に正直に生きていこうと決めて、生きることにしただけなのだ。
スクリーンを後にしながら、バットマン3部作をもう一回観ろってことかなー、全部妙に長いんだよなー、ジョーカーってどこで出てきたっけなー、なんてことを思った。