岐阜城で天下を取った気分を味わう旅。岐阜公園の金華山をロープウェイで登り、天守閣から濃尾平野を眺める
岐阜市の近くに滞在した際に、なんとなく岐阜城に足を伸ばしてみることにした。
JR岐阜駅の改札を出ると、岐阜市観光案内所があったので、そちらで経路を確認していく。
観光案内所にはレゴで作られた岐阜城の模型があり、なかなかの出来栄えだった。
観光案内所で仕入れたパンフによると、岐阜城は岐阜公園内にある金華山の山頂付近にあるそうだ。
JR岐阜駅からはバスとロープウェイを乗り継いで金華山に入っていき、更に徒歩で登っていくらしい。なお、金華山は標高329mの山で、登山道が整備されていて、歩いて登ることもできるとのことだが、そんなガッツは持ち合わせてないからロープウェイを使って途中まで登ることにする。
早速、バスに乗って、岐阜公園歴史博物館前という停留所まで移動。
そこから歩いて岐阜公園に入ったところで岐阜城を確認する・・・あれか。
本当に山頂付近にあるらしい。
岐阜城を確認したところで、ロープウェイ乗り場まで移動する。
窓口で往復乗車券 (大人:1,300円)を購入し、ロープウェイに乗り込む。
ロープウェイは10分置きに動いているようだったが、客足が増えると臨時便も出るようで、ほとんど待つことなく乗れた。
ロープウェイを降りたら、案内に従って岐阜城に向かう。
整備された道ではあれど、結構な坂道で階段も多く、それなりに体力が必要だ。
徒歩7~8分ほどとのことで、道中は基本的にずっと登りである。
道の途中、途中には、岐阜城にまつわるウンチクが書かれた案内板が多数あった。
例えば、岐阜城の歴代の城主は12人いて、信長はそのうち6番目で、9年ほど岐阜城にいたらしい。
信長が亡くなってからもしばらくは城主がいたようであり、1600年までは使われていたようだ。
こうした案内をちょくちょく確認しながら、坂道を登っていく。
登っていくうちにようやく岐阜城が見えてきた。
どうでもいいけど、よくこんなところに住もうと思ったものだと感心してしまう。ほとんど平坦なところはないし、アップダウンが激しく、それこそ井戸の水汲みだってかなりの重労働だったことだろう。戦国の世の話だし、攻め込まれにくいのはわかるけど、暮らしやすいものではなかったのではなかろうか。
ようやく岐阜城が見えてきたところで、さらに階段を登って近づいていく。近づくほどにその威容が見えてくる。端的に言うと、かっこいい。
なんとなく、あそこに行ったら天下が取れそうな気がする (フラグが立ちそうな発言)。
ようやく城までたどり着いた。城の近くにはでかいクマバチとかが結構飛び回っていたので、刺激しないように動くべし。
入口で入場券 (大人:200円)を購入して入城する。なんと入が多い文だろう。
場内は資料館になっていて、この城の由来や、信長が為政者として成してきたことなど、端的にまとめられている。
例えば、もともとこのあたりは「井口 (いのくち)」と呼ばれていたのを、信長が岐阜と改めた、とか。
なお、私が生まれ育ったところの地名も井口 (漢字も読みも同じ)だったから、妙に親近感を感じる。こんなところでこの地名を目にするとは。
そうやって資料館の展示を一つ一つ読みながら、階段を登っていく。各階でトピックがまとめられていて、説明もわかりやすい。ただ、岐阜城の説明というよりは、ほぼ信長にフォーカスした説明だ。岐阜城を治めたのは信長だけじゃないんだけど、基本的に信長の話しかないと思っていい。
岐阜城の最上階は展望台になっている。
手すりがついているから落ちる心配はないんだけど、結構高いところにあるから最初はちょっとビビる。
さあ、お待ちかね。これが天守閣からの眺めだ!
標高300mちょっとの金華山とはいえ、その山頂付近の4階建ての建物から見下ろせば、かなり遠くまで見える。
この日は「高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン2024」が開催されていて、長良川の河川敷をマラソン選手が列をなして走っているのが見えた。
ちょっとガスがかかっていたけど、天守閣からの見晴らしは最高だった。
名古屋駅にあるツインタワーも見えた。本当にかなり遠くまで見えていた気がする。天気がよければ、眼下の濃尾平野を超えて、伊勢湾あたりまで見えるのだろうか。
460年ほど前、織田信長はここに立って、城下を眺め、何を考えていたのだろうか。少なくとも、「ここから見える範囲は全部オレの土地」という感覚だったろうと思うと、天下取りというのはとても壮大な夢だったのではなかろうか。
この景色を見ていると、自分も天下を取った気分になれる気がする。天下を取った気分というのがどういうものかはよくわからないが。とにかく感動した。
この日は最高気温が31℃の予報で、かなり暑かったんだけど、天守閣は風が通り抜けていて、とても涼しいものだった。
この景色が見れるなら、ここまで登ってきた甲斐があったというものだ。いずれまた見に来たいと思う。
しばらくぐるぐると天守閣を周りながら景色を眺め、岐阜城を後にしたのだった。