放送大学の面接授業を興味本位で受けてみたら、これまで以上に理解が深まって、よい時間になった
諏訪市にある放送大学の長野学習センターで、面接授業に参加してきた。
今回の面接授業は完全に興味本位で取ったものである。実際のところ、別にこの授業の単位が取れなくてもいい状況ということもあって、ずいぶんと気楽に参加することができた。
また、この面接授業は、放送大学の先生が担当講師だったというのも参加しようと思った理由の一つである。その講師が担当している授業は履修したことがあって、直に会えるなんていい機会だと思ったのだ。
私にとって放送大学の先生というのは、画面の向こうで原稿を読んだり、ゲストと喋ったりしている人、という認識であり、あまりリアリティを持って接することができるものではない。その先生が長野に来て講義をしてくれるというのだ。ちょっと会ってみたいと思うのも人情だろう。
そんな放送大学の先生が、生で、眼の前で、リアルタイムで動いているのを見ると、ある種の感動すら覚えた。録画配信されている放送授業では見られない、先生の一面を見ることができた。
授業の合間に、あの放送授業がどんなふうに収録されているかや、どういう気持ちで授業に取り組んでいるかといった裏話を聞けたのは貴重である。
気になっていることを直接、先生に質問することもできたし、色々と教えてもらえてよかった。
なお、面接授業の内容としては、認知心理学の中でも、記憶や思考といったものがテーマだった。このあたりは興味あるところだったから、聞いていて楽しかった。
講師が担当していた科目の放送授業や印刷教材で扱っていた内容が多く、いい復習になったと思う。その科目を履修してから3年経ってるし、懐かしいとすら思えた。
それに加えて、先生の体験からくる示唆とか聞けたりして、これこそ放送授業にない良さだったろう。雑談も含めていい時間になったと思う。おかげで知識が深まるというか、広がるというか、そんな感触があった。
グループワークも少しやったりして、他の参加者との交流ができたのもよかったと思う。私が入学したころはすでに新型コロナの影響下にあり、面接授業に出ても基本的に他の人と (先生も含む!)の交流は控えるようお達しがある状況だったから、誰ともあまり交流がなかったのだ。
おかげで、本当に久しぶりに、いわゆる「授業」を受けることができた気がする。あんなに教室にびっしりと人が集まっている面接授業は受けたことがなくて、もしかしたら昔は面接授業というのはそういうものだったのだろうか。
講座の内容的にも認知心理学に関することだから、他の人の考え方や価値観を知ることは知見の発展につながるし、よかったと思う。
あとは、最後にレポートを手書きでひたすら書いたのは大変だったか。あんなにびっしりと文字を書くことなんてなくなっているから、むしろ新鮮だ。45分くらい?ひたすら今回学んだことをベースに、自らの知見をアウトプットした。これもまた学びを深めることになったことだろう。
そんな感じで、今回の面接授業は、気分的にはずいぶんと気楽に参加できたし、諏訪に行って、温泉に入ってきたし、諏訪湖を散歩したしと、いい気分転換にもなった。
学ぶのは楽しい。最高の娯楽のひとつだ。
そんな実感を得られた面接授業であった。