「移住」と言えば「キラキラ移住話」ばかりが目につくのが気になる。移住というのは、本来もっとありふれたもののはずなのに。

2022-11-16

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少し前に奥さんと収録した動画を編集していて、更に思うことが出てきたので書いてみる。

移住」というテーマについて語ってみたのだが、最近、本当によく思うのが、「キラキラ移住話」ばかりが目立って取り上げられてないか、ということだ。

キラキラ移住話

「移住」というとすごくロマンがある話のように盛り立てている感じがしてならない。

もっと地味な移住なんていくらでもある。

私は大学に進学するのに、愛媛から横浜に「移住」してきた。

サラリーマンが転勤で地方都市に行ったりするのだって、立派な「移住」だ。

転勤といえば、見知らぬ土地に、自分の意思とは無関係に「飛ばされる」というイメージがあるかもしれない。

私もサラリーマン時代に、転勤で東京から兵庫に「移住」したことがある。全く見ず知らずの土地に「飛ばされた」ものだ。

それ以前に、就職したときに会社の寮が千葉にあったから、横浜から千葉に「移住」している。

兵庫で過ごしたあと、また転勤によって東京に「移住」し、会社を辞めてからは長野に「移住」してきた。

こんな感じで、私たちの身の回りに「移住」なんてのはいくらでも転がっているのだ。

それなのに、「移住」という言葉を使ったときは、人生をかけて、やりたいことを追い求めて、あたかもロマンがあるかのように取り上げられる。

移住をセンセーショナルに取り上げすぎでは

「移住」というのを、あまりにもセンセーショナルなものに盛り立て過ぎじゃないか。

もちろん、そうでもしないとメディアはウケないのはわかる。それこそ、ただのおっさんが地方に引っ越しただけの「移住」なんて誰も興味ないだろう。それよりは、できれば「キラキラ移住話」を取り上げたいと思うだろう。

不動産屋さんや工務店さんだって、移住してきて家を建ててくれた方がいい。移住するなら、自分の理想の一軒家を建ててください。それがいいことなんです、と語りかけたくもなるだろう。そういう商品に仕立てるのもわかる。

そういうふうにして、「移住」というものに対して、すごく大きな夢をもたせすぎてないか。

確かに、「移住」は儲かるから、「移住」を商品化したい気持ちもわかる。

そうでもしないと、「移住」は儲からないのだから。

私たちは、移住当初は普通に賃貸アパートで暮らしていた。

家を建ててくれた方が、そりゃ、儲かるだろう。

でも、そうやって盛り立ててしまうことで、敷居がどんどん上がってしまう。

家を買ったり建てたりするのを前提とした、言うなれば、夢と理想を追い求め、終の棲家を作り上げるのがゴールになった移住は、正直、重たいと思う。

本当は、移住に対する物理的なハードルは下がっていると思うんだけど、移住を盛り立てることで難易度はどんどん上がっている感じがする。

失敗は許されないし、どうせ移住するならやりたいことを追い求めて行こう、という具合に。

私たちはというと、私が会社員を辞めた際に、住みたいと思ったところに移住してきた。

この辺に住んだら気持ちいいだろうな、生活の質は上がるだろうな、というくらいで移住してきた。

私たち夫婦にとって、長野というのは縁もゆかりもない土地で、仕事を追い求めて来たわけでもなく、親類縁者がいるから来たわけでもない。

ただただ、会社員を辞めたら東京に住み続ける理由はなくなって、だったら住みたいと思うところに行こうじゃないか、というくらいでこの地に移り住んできた。

会社員を辞めて仕事もなかったし、貯蓄もなかったし、それでもこの地に引っ越ししてくることで、もっと気持ちよく過ごせるのではないか、と思ったのだ。

私たちはこういう経験があるからこそ、「移住」というものを、もっとシンプルに考えてもらった方がいいと思う。

住みたいと思ったところを自分で探して、そこに住んでみる。

そうして暮らしてみて、すごく居心地がよければ居座ればいいし、なんか違ったら別のところに行ってもいいのだ。

私たちは夫婦2人で移り住んできたからまだ身軽だった。独身だったら更に身軽だろう。

絶対に失敗してはいけない移住とか、一発で住心地のいい土地に移住しなくてはならないわけでもない。

夢やロマンを追い求める必要もない。やりたいことをやりにくる必要もない。

そういうものと「移住」を引っ付けるほどに、「移住」というのはどんどんハードルが高くなる。

なんとなく、それは誰にとってももったいないな、と思う。

もっと肩の力を抜いて、住みたいところに住んでみたらいいと思うのだ。その方が幸せになれると思うから。