「自分を表現する」という課題
先日、諏訪に出張しながら奥さんと話していた中で、今年は「学ぶことは楽しい」ということを伝えていこう、という話が出ていた。
これがずっと引っかかっていて、奥さんと引き続き「学ぶことは楽しい」を伝えるとはどういうことか、あーでもないこーでもないと話している。
この根幹には、「自分を表現したい」という欲求があるからだろう。
私たちは基本的に、何らかの形で「自分を表現したい」という欲求があるのだと思う。
それが文章だったり、絵画だったり、動画だったりする人もいるだろう。
ブログやメルマガを書くことだって、自分を表現したいからだ。
FacebookやTwitterに投稿することだってそう。
システムエンジニアリングをしたり、コーチングをしたり、会社を起こしたり、子どもたちと遊ぶのだってそう。
こういう発想に至ったのは、放送大学で臨床心理学について学んでいる中で、再三再四「箱庭療法」が出てきたことの影響もある。
自分の内面にある、言葉でうまく表現できないことを「箱庭」の中で表現すると、それが癒やしとなるそうだ。
このことは私も経験があって、自分のことを表現することには開放感があり、それだけでスッキリしたりする。
私はどうも何かを表現しようとしても、どうしても「それをやって意味があるのか?」「それをやって何になるのか?」「誰の役に立つのだろう?」などといったことを考えてしまいがちだから、なおさらそんな考えの及ばないことにチャレンジするときなのだろう。
振り返ってみると、これはサイクルがある感じがしている。
表現したいことを表現する→どこかに落ち着く→葛藤する→また表現したいことを表現する→どこかに落ち着く→・・・
というサイクルだ。
今はこのサイクルでいうと、「表現したいことを表現する」というタイミングになってきているのだろう。
今は自分がどこに向かおうとしているのかよくわからない。そういうことを考える時期なのだと思う。
まさに発達心理学で言う「アイデンティティ確立 vs アイデンティティ拡散」の課題に直面している。
この課題に立ち向かうことで、達成していきたいものだ。