「いつも幸せな人は、2時間の使い方の天才」に、「今日もいい1日だった」と思える日を量産するヒントがある
「いつも幸せな人は、2時間の使い方の天才」を読んでみた。
著者の今井 孝さんは、10年以上前に受けたセミナーの講師だったこともあって、本を書かれたと聞くとちょいちょい買って読んでいたりする。
ゆるい感じの文体が読みやすくて、本書はあっという間に読み終えてしまった。
本書の主張はタイトルにあるとおりで、「充実したいい1日」というのは、たった2時間もあれば得られるものだということ。
これには私も激しく同意である。1日24時間、すべての時間において充実していると感じるのはかなり無理があるし、現実的ではない。
むしろ、24時間すべての時間が充実していると感じることが幸せのゴールだとしたら、多分、この世に幸せはないだろう。
たった2時間でいいから、充実した時間だったなぁと思えたら、その日は1日ハッピーだったと思えるものだ。
自分で開催した勉強会やセミナーがうまくいったら、もうその日はいい日だったと思えて、打ち上げしたい気分になる。
気心のしれた友人と飲んだら、その日はハッピーだったと思うし、たまたま飛び込んだ映画館で見た映画が面白かったら、やっぱりその日はハッピーだったと思う。
場合によっては2時間もいらないこともあるだろう。
先日、会社の決算が終わった日なんかは、なんだか開放感に包まれていたのだけれど、その日は税理士事務所の人と小一時間も話したくらいだ。経理なんてずっと付けているし、その日に至るまでにその期の数字はほとんどわかっていたわけで。その小一時間の中で、税理士事務所の人と経理の話なんて何分したことか (笑
でも、それだけで開放感が得られた。
本書の主張を逆手にとる?と、2時間でいいから、いいことがあったと思う日は、いい日だったとしちゃおうよ、と思うのも幸せなんじゃないかと思う。
要は、「自分にとってハッピーな1日」を定義してしまえばいいのだ。2時間ほど楽しい時間を過ごせたなら、その日はハッピーだった、とするのだ。これはわかりやすい指標になるだろう。
本書を読みながらふと思い出したのが、ポジティブ心理学を学んでいて、そうだなと思ったときのこと。かの心理学では、不快なことを全部取り去ったらようやく快が得られる、なんてことは全く言ってなくて、1人の人の中に、常に、同時に快も不快もあるのが普通だという。
それでも人は十分、幸せになれるのだ。
そうやって、1日1日を小さな幸せで埋めていって、365日を過ごせたら、それは幸せな1年だったと言っていいんじゃないかと思う。
幸せな1日の条件を自分で釣り上げていったら、1年の大半はあんまり幸せじゃなかった、と思うことだろう。
1日2時間程度の時間でいいから、幸せだと思える時間をあらかじめ計画しておく。そのくらいの工夫でハッピーな1日が作れるのだとしたら、そこまで難易度は高くないのではなかろうか。
「幸せな1日」について、そんなふうに捉え直すことができて、本書の主張はなかなか実用的な考え方なんじゃないかと思えた。
毎日を充実させていくヒントになりそうだ。