[書評]「ことばを学ぶとはどういうことか」を改めて考える。語学学習を規範と逸脱の視点から切り込む

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去年の春くらいに、急にスペイン語でも学んでみようかな、と思い立った。

きっかけは、本当に些細なことだったと思う。Youtubeで多言語話者が会話しているのを見て、いろいろな言語でコミュニケーションできるのは面白いな、と思ったのがきっかけだったのかもしれない。

あるいは、今から学ぶ外国語と言えば英語でしょ、みたいな風潮に飽きてしまったからかもしれない。

経緯はともあれ、とにかくスペイン語でもやってみるかと思いたち、本を買って読んでみたり、Duolingoで学んでみたりしているうちに、だんだんスペイン語を学ぶことが楽しくなってきた。

そんな折にこの本に出会い、タイトルどおり「ことばを学ぶとはどういうことか」という疑問にかられた。

松田 真希子 ことばを学ぶとはどういうことか: 外国語学習の本質 ちくま新書

本書では、言語を学ぶにあたって「よい」とされていることを批判的に見つめ直していて、言われてみればそういう節は確かにあるよな、と思えた。

「言語学習の呪い」とか「言語学習の副作用」といった表現で挙げられていたのが、例えば、発音や文法の正しさを追求することだ。

これは理想とする言語学習とか、その言語の理想的な話者という姿があって、その姿をあまりにも当たり前のものとして追い求め過ぎてやいないか、ということへの批判である。

これらの「理想とする言語学習」とか「理想の話者」というものが社会的規範として働いていて、言語学習を楽しいものから遠ざけているのではないか。苦しいものにしているのでないか。もっというと、語学学習という価値あるはずの行為の価値を下げているのではないか、と。

筆者から、そんな問題提起があったように感じた。

そもそも私たちは日本語を正しく使っているか?と言われると怪しいもので、それこそ国内の数カ所で数年単位で過ごしてきた私からすると、どこかの地域で正しいとされる日本語は、どこかの地域ではおかしいものだったりする、という実感がある。

関西弁と標準語といった対比で描かれるものは代表的なものだろう。私は東京にも兵庫にも住んだことがあるからよく分かる。

思えば故郷の愛媛で暮らしていた、子どものころですら感じていたことだ。私の地元は、愛媛県の中でも瀬戸内海の島であり、四国本土ではない。そんな島育ちの私が、高校進学により四国本土の高校に船で通うようになったのだが、島の中では広島弁由来の言葉を話しており、高校では関西弁ともちょっと違う今治弁を話していた。

結局、3年通っても今治弁はうまく話せるようにはなれなくて、「島もんは変なことばをつかいよる」などと言われることもあるくらいで、その場にいるマイノリティとして、マジョリティの言葉の暴力を受けていたものだ。

日本語ですらそんな状態なのを自然のものとして (考えたこともないだろうが)受け入れているくせに、英語には理想の英語話者の姿があるなんて思うこと自体がおかしいと思ってもいいだろう。

アメリカなんて日本の何倍も広い国土を有しているし、いろいろな人種の人が住んでいるんだから、「アメリカ英語」が1つのものであると考える方が不自然だ。標準語や関西弁、広島弁、今治弁のようなものがあってもおかしくないだろう。イギリスやオーストラリアの英語とアメリカのそれが違うのは明らかであるし。

私はパッケージツアーのような言語学習方法はあってもいいと思っていて、それはきっとコスパやタイパを考えるととても効率がよいものなのだろうけど。

そうやって効率よく外国語をインストールする方法はあるのかもしれないけれど。

今の私のように、全く必要にかられてもないのに新しい言語を学ぼうとしているのであれば、もっと自由旅行のような学び方があってもいいんじゃないかと思う。

本書の中でも、ゲームとしての言語学習について触れられていて、そこでは私がこのところ愛用しているDuolingoについても言及があった。

まさに私はその線の言語学習者であり、ゲームとして言語を学んでいる。こういう言語学習の姿だっていいだろう。許されることだろう。

私としては、昨年の今頃にはアルファベットすらスペイン語風に読めなかったのが、今では分かる単語は増え、理解できる文章も増えており、それが楽しいと思っている。

もちろん、スペイン語圏の人と不自由なく会話できるようになれば、それはそれで楽しいのだろうけど。

今のところ、そこまでのレベルは求めてないんだよなぁ。

スペイン語を学ぶことで、日本語の理解がより進む感じがすることとか、へぇ、スペイン語ってそういうものなんだと発見することとか、意外と身近にあるスペイン語由来のものがわかるとか、そういうので十分な刺激となっている。

そういうのでいいんだよ、と。

本書の帯にある「ネイティブみたいに話せなくて大丈夫!」というキャッチのとおりで、今みたいに、新しい言語を学ぶこと、そのものを楽しむ姿勢でいたのでいいんじゃない?と。

筆者からはそんなふうに励ましてくれている感じがしていて、これからのスペイン語学習に対する姿勢がちょっと変わってきそうだ。

私の中で、なんとなくこれまで言語化されてなかった語学学習に対する印象や、暗黙の規範について鋭く切り込んでくれたおかげで、言語学習に対する新しい視点が得られた感じがしている。

引き続きスペイン語を楽しく学びつつ、またどこかで「ことばを学ぶとはどういうことか」とか、「私はなぜスペイン語を学んでいるんだろう?」とか思ったときに、改めて本書を読み直すのもよさそうだ。そのときはまた、新しい気づきがありそうだから。

読書

Posted by junchan