海野宿 (長野県東御市)を散策。歴史館や玩具館を巡り、街道を歩き、蕎麦を食べてきた
北国街道の海野宿に行ってきた。

海野宿は、長野県東御市にある。我が家からすると、東御市は隣の隣の町であり、ちょくちょくドライブで通りかかるところだ。冬場には同市内にある湯の丸スキー場に行くし、およそ生活圏内にあると言ってもいいかもしれない町である。
大学の授業で紹介されたのがきっかけで訪問する
今回、海野宿を訪れたのは、大学の授業で出てきたからだ。
以前、放送大学の面接授業で、都市計画に関する授業を取ったことがあり、その授業の中でこの海野宿が紹介されていた。
海野宿の近くは何度も通りかかっており、名前は知っていたので、授業で出てきたときに「ああ、あそこか」と思ったものだ。
江戸時代に作られた宿場町の1つで、当時の町並みを保存した貴重な場所とのことで、そういうことならと行ってみることにしたのだった。
海野第1駐車場に車を停めて行く
海野宿は無料駐車場が何箇所か整備されていて、この日は第1駐車場に車を停めて行った。
第1駐車場は海野宿の東の端にあたる。

駐車場の近くには案内板があって、海野宿がどういうところか説明されていた。
近くにトイレがあったので、まずはトイレを済ませていく。
白鳥神社を参拝
東の端から海野宿の街道に入るところで、最初に出会うのは白鳥神社だ。

神社が出てきたら参拝していくものなので、お参りしていく。
海野宿資料館で海野宿について学び、玩具館で遊ぶ
白鳥神社を参拝したら、いよいよ海野宿の街道へ。

これが海野宿かー。
1本道がずっと向こうまで続いていて、その先にはアルプスが見える。いい眺めだ。
少し歩いていくと、海野宿資料館なるものを見つける。

当時の旅籠屋 (はたごや)を改修して資料館にしていた。旅籠屋ということは、今で言うホテルだ。
昔の人は、ここまで歩いてきて、ここで泊まって、更に次の宿場町を目指して歩いたそうだ。
当時の人は、この旅籠屋でどんな出会いをして、どんなホテルライフをしていったのだろう。雑魚寝が普通だったみたいだから、今で言うとドミトリーのような施設だったようだ。
そんなことを思いながら、歴史館を堪能した。大学の授業で学んだことと照らし合わせながら見て回ると、興味深いものがいくつもあった。子どもたちにはちょっと退屈だったかもしれないが、父ちゃんは楽しかったぞ。

歴史館の外にはポスターが貼られていたが、海野宿は開宿が1625年であり、つまり今年2025年はちょうど開宿から400年の節目になる年のようだ。この日は特に何もなかったが、開宿400年を記念したイベントが催されたりしているのだろうか。
資料館を堪能したら、玩具館にも訪れた。

子どもたちは、コマやけん玉、ダルマ落としに羽子板など、玩具館に展示されている昔の玩具で遊んで楽しそうだった。

海野宿をのんびり歩く
資料館と玩具館を訪れたら、あとは街道をのんびり歩いた。

歴史館で学んだうんちくによると、海野宿の建物はだいたいこういう感じのものらしい。
今でもこれらの建物には人が住んでいるようで、表札もあれば郵便ポストもあるし、電気メーターなんかも動いていた。
おそらく何らかの条例により、この景観を守って生活をしているのだろう。
自分の家が観光地の見世物というのは、どういう感覚なんだろうか・・・?

街道を歩いていると、卯建 (うだつ)についての説明があった。
「うだつが上がらない」とか言うのは、これのことだったのか!と一つ勉強になった。

ランチは福嶋屋で蕎麦を食べる
街道を歩いているうちに、とっくにお昼を回っていた。お腹も空いたことだし、何か食べていくことにした。
海野宿の中にも飲食店はいくつかあって、入れそうなところにとにかく入ってみる。

そうして入ってみた福嶋屋さんで食べられそうだったから、ここでランチしていくことにした。
だいぶ歩き疲れていたし、和室でゆったりとできたのはよかった。蕎麦も美味しかった。

福嶋屋さんでご飯を食べたら、海野宿は一通り歩き回って堪能したことだし、帰ることにしたのだった。
おわりに
長野県は東御市にある海野宿に行ってきた。
海野宿は江戸時代に作られた宿場町で、北国街道の中にあったそうだ。
今年はちょうど開宿400年とのことで、ここには400年前の風景が少なからず残っていると思うと、なんともロマンを感じる。
景観を守り続けるのは簡単なことではないから、住民の方々との協力も得ながら、地道に保全活動を続けているのだろう。
数時間の滞在となったが、街道を歩きながら、江戸時代の町並みの雰囲気を感じることはできた気がする。
こういうところを散策するのも楽しいものだ。