実家にお一人様帰省。両親と会話し、自分ひとりの時間を堪能した。

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先日、実家にお一人様帰省していた。

奥さんに「たまには実家に顔を出したら?」と言われたのがキッカケだ。

いつも帰省となると家族全員の予定を合わせ、あれこれと準備して帰るものだったが、一人で帰るならそこまで気を使うことはない。

ただ、家族なら車で帰るところ、一人なら公共交通機関を使って帰ることになるから、それが面倒なくらいだ。遠いし田舎だしで、なかなか乗り換えやら待ち時間やら計画していると面倒になるのである。

一人とはいえ荷物は軽くはないし (電子機器やら小型で重たいものがいっぱいあるから)、ホイホイとお土産を買うこともできない。

もっというと、そうやって田舎に帰ったところで足がないから、家から出るのが非常に面倒くさいことになる。車がないとどこに行くにも不便な場所なのである。

そして予想通り、家から一歩も外に出ることもないまま過ごしたのだった。何なら数日は靴も履いてない。

大三島BSから多々羅大橋を望む

さて、実家に帰るのは1日仕事だったが、帰ってしまえば食事も洗濯も悩むことはないから、自由な時間がたんまりできた。

子どもや奥さんもいないし、親は基本的には干渉してこないし、本当にひとりの時間を過ごせた。

実家は未だにインターネットを引き込んでいないから、返って新鮮だった。

自宅にいるときは身の回りの機器がインターネットに常時接続した状態だから、その前提があって様々な活動が構成されている。

暇ならAmazonプライムビデオを見るか、という具合に。

そんなインフラとも言うべきインターネットがないものだから、かなり時間にゆとりがあった気がする。

インターネットの環境がないがゆえに、いつもならこういうときにはなんとなくインターネットしてたな、というのをよく感じた。

ちょっと調べ物しようとか、ちょっと気になるニュースを見ようとか、そういう行動をいつも反射的にやっているわけだ。

そうやってネットで遊ばなければ、意外と時間は作れるものだと思った。

私にとっては、実家に帰ることがライトなデジタルデトックスになるのである。

もちろん、スマホは持って帰っているから、スマホでインターネットにアクセスできるし、テザリングすればパソコンだってインターネットに接続できる。

ただ、それは必要最低限にとどめておくことにしていた。パケ死するなどの経済的理由もあるが、ちょっとネットから離れるというのをやりたかったのだ。

たまにはそうやって、制約のある環境に身を置くのも大事だと思う。

読もうと思って読んでなかった本を読むことができたし、じっくりと論文を読むこともできた。そんなふうに、普段はやらないことをやるキッカケになった。

実家までの行き来は大変だったが、年老いた両親が元気にやっている姿は見れたし、自分の時間が数日取れたし、いつもと違う体験ができたのはよかった。

親も「いつでも帰ってこい」と言ってるし、たまにはこういう形で私だけ帰省するのも悪くないと思った。